松本零士xいづみかつき対談

※このインタビューは2013年9月に行われたものを
再掲出しています。各種の情報等は古いものもありますので
あらかじめご了承ください。

そもそもは呑みながらのトンデモ話。
いづみかつき先生+月刊少年チャンピオン編集部小口氏+ねりまんが
大泉学園の名物店わらべでもんじゃ焼きをつつきながら
酔いで上がったテンションも手伝って
「大泉が舞台なら松本先生にも登場してもらえば?」
とかけしかけたのがきっかけだったんだよなー。
月刊少年チャンピオン9月号の『オイ!!オバさん』で実現した、
松本零士先生といづみかつき先生の大泉学園在住コラボ!
誌面と9月6日に発売された単行本第7巻にも掲載されている
インタビューのスピンオフを、ねりまんが、なんと独占!でお届けします。
いやー………言ってみるもんですねぇ…。

松本零士xいづみかつき
インタビュー協力 : イタリアンレストラン カルド
撮影 : 馬場亮太 インタビュー : 高畠正人 文・構成 : 丸尾宏明

 


すがこちゃんイ●キンを描いて、目的意識に目覚める!

松本 : 私は50年前にここ(大泉学園)に越してきて、それだけ住み続けていればもう故郷ですよ。終(つい)の棲家(すみか)。いい土地に出会えて本当によかった。富士山は見えるし、地盤は頑丈だし。越してきたときは知らなかったんだけど、東映撮影所や東映アニメーションもあって、まさに呼ばれたようだと。松本零士先生

いずみ : ええ。

松本 : そのうえ私のデビュー作『蜜蜂の冒険』で参考にさせてもらった植物学者の牧野富太郎博士も住んでいたし、となり町には手塚(治虫)さんや上京した日に知り合ったちばちゃん(ちばてつや)もいて、同じ区内に同年同月同日生まれの石ノ森(章太郎)氏もいた。ほかにも数え切れないくらいの不思議な縁(えにし)があるんですよ。本当に不思議な…。あなたは大泉には何年?

いづみ : ぼくはまだ5年くらいです。漫画家になるために上京するとき、東京にいる親戚に相談したら、大泉学園を薦められて。漫画家がたくさん住んでる街だから、ということだったみたいです。しかも名前が「いづみ」なんだから、というので、ほとんど強制的に(笑)。

いづみかつき先生松本 : ハハハ。

いづみ : 最初は駅から自転車で20分くらい、家賃3万円ほどのアパートでした。

——まさに『男おいどん』のような(笑)。

松本 : 私も本郷に下宿していた若いころのことは思い出深いですよ。インキンタムシにもなったし(笑)。あれはかゆくてかゆくてたまらない。下宿の男たちの半分以上がそうでした。風呂入らんからね。けれど薬局で「インキンタムシの薬ください!」と言うのは恥ずかしいわけです。絶望感ですよ(笑)。

いづみ : あー(笑)。

松本 : それで、学名で言えばいい!と思いついた。調べてみたら白癬菌だとわかった。これなら、ということで、薬局で「白癬菌の薬くださーい!」と大声でやったわけです。そしたら店の人は「ああ、キミもインキンタムシか!」と(笑)。けどね、そのおかげで解放されたんですよ。つまり、あれは言えれば治る病気だ、と。それで、漫画の中にちゃんと読めるように『マセトローション』と商品名を含めて正確に描いた。悩める同士を救うのだ!と。

いづみ : なるほど。商品名が言えれば大丈夫ですもんね。

松本:そしたら全国から感謝の手紙が何百通も届いてね。中には女性から「私の彼氏が治ったのは先生の漫画のおかげです」というのもあった。いまではマセトローションの薬のパッケージね、私が描いたのになってる。

いづみ : すごい!

松本 : 私はね、漫画には目的意識があるべきだと思っているんですよ。インキンタムシの一件で、そこに気づいた。

いづみ : 何のためにこれを描くのか…。

松本 : そうそう。あのね、ハーロックの親友の大山トチローね、彼はおいどんの大山昇太の子孫なんだけど、どういうことかというと、あの顔であの体型でも、ちゃんと子孫を残せたんだからなんとかなった…ということでね。

いづみ : あー!ちゃんと相手が…(笑)。

松本 : 青年よ希望を持て、とね(笑)。

松本零士先生


すがこちゃんキャラクターたちとともに旅をしている。

——松本先生の漫画には魅力的なキャラクターがたくさん登場しますね。今秋公開される映画『キャプテンハーロック』も楽しみです。

松本 : 今回の映画はCGですけどね、120人ものスタッフがヘトヘトになってつくった大変な作品です。

キャプテンハーロック

いづみ : ぼくも試写を見せていただいたんですが、ほんと、すごくって!アルカディア号のデザインもかっこよくって!ものすごく興奮しました。すごく映像がキレイだから、アルカディア号がほかの戦闘機に突っ込んでぐわーっとなるところとか、すごい迫力で。松本先生の世界観がビンビンと伝わってきて。

松本 : それはうれしいですね。今回の映画は原作総設定として関わっているけど、スタッフは本当にがんばってくれて。少しだけ修正をしてもらったけど…ふつうのアニメと違って、CGは細かく描けるし一度モデルをつくると自由に動かせたりするぶん、修正が大変なんだ。30秒の直しで数千万かかったりする。でもエンディングは大事ですから。

いづみ : そうですね。

松本 : (編注:以下ネタバレ含みます)私はね、主人公たちは死なせたくないの。生きていればナントカナルでしょ?落ちぶれても次がある。

ハーロックとすがこちゃんいづみ : 生きていればナントカナル…。

松本 : 死なせてしまえばね、そのときはお涙ちょうだいで受けるかもしれないけれど、次がないでしょ。作家はその後も元気で生きているのに、キャラクターたちの物語は終わってしまう。そのことで、昔、某プロデューサーと大げんかになってね。彼は殺す。私は生かす。で、もめにもめて、それでもなんとか私の言い分を通したんだけど、私が手を離したら殺してしまう。

いづみ : そうだったんですか…。

松本零士先生xいづみかつき先生

松本 : 作家が必死になって生み出して命を与えたキャラクターたちです。殺すなんて冗談じゃない。死ぬのは自分が死ぬときに描けばいいんであってね。それまでは私も一緒に旅をするんです。999号に乗ったりアルカディア号に乗ったり…。

——松本先生ならではの作品観…いや人生観ですね。

いづみ : ハーロックの生き様もかっこいいですもんね。

松本 : アルカディア号のシンボルでもあるけど、海賊のドクロマークの意味、知ってますか? あれはなにも人を脅かそうということじゃない。この旗の下にオレは自由である。ただし全責任を負う。言うなれば「骨となっても戦う」という意思表明なんです。

——松本先生のシンボルマークでもありますね。

松本零士先生

松本 : そうそう。この帽子もね…最初つくってもらって、白のドクロだったんだけど…なんかヘンなんだよね。そこでマジックで赤く塗っちゃって。俺はまだ生きているぞ、と。もちろん今のは最初から赤い糸で縫ってもらってますが。

いづみ : へぇ!

松本 : そういえばね、ハーロックにも出てくる、あのトリさん、あれも実在したんですよ。隣の家が飼ってた。九官鳥だかオウムだかのような巨大な鳥で、タンカーの南米航路の甲板で飼われていたらしい。ときどき「オーイ!オーイ!」と呼ぶから、「なんだー!」と言ったら「バカヤロー!」と。

いづみ : えー!(笑)


すがこちゃん記憶の蓄積が個性になる。

松本零士先生——松本先生のキャラクターと言えばメーテルが印象深いです。

松本 : 私の育った小倉はね、ひとつの街に31館も映画館があるようなところで、戦後の混乱期もあって占領下の悲惨な出来事もいろいろあったけど、そのぶんいろんな文化に触れられたわけです。海賊映画もたくさん観て、ハーロックにもつながってね。そんな土地でたくさん観た映画の中に、私の大好きな『わが青春のマリアンヌ』という作品があって、これの舞台がアルカディアなんだけど、主演女優がメーテルそっくりなんですよ。あとから気がついたんですけど。

いづみ : 憧れの人なんですね。

松本 : というより遺伝子の記憶ですね。私のひいばあさんの写真、明治維新のころの銀盤写真が菩提寺から出てきて、それを見るとメーテルやエメラルダスとそっくりなんで驚いた。それまで、なんでこういう顔を描くのか…無意識に描いていて自分でもピンときてなかったけど、ひいばあさんの写真で理解しました。ああいう顔を好ましく思う気持ちが遺伝子に記憶されているんでしょう。

オイ!!オバさん第7巻

いづみ : だから今回メーテルを描かせていただいて恐れ多い気持ちになったわけですね。

松本 : ハハハ。しかし、あなたの描く絵にも、きっとそういうことがあると思いますよ。あなたの祖先が見たものや好きな顔が、遺伝子の記憶として本能的に受け継がれている。何百何千という先祖の記憶。それが「個性」になるんですよ。

いづみ : そうなんですかね…。

松本 : たくさんの記憶が重なって個性になるんです。たとえば、あなたの故郷は?

いづみ : 愛媛県の海と山に囲まれたところで…。

松本 : だとすれば、海や山で遊んだことはたくさん描けるでしょ。

いづみかつき先生いづみ : ええ。子どものころは海に山に駆け回ってました。高いところから海に飛び込んだりとか…。ぼくの親戚は漁師が多かったんで、船に乗せてもらったりとか、いろんな経験ができました。

松本 : おお、それはいいね。そういうことが、体力面も含めて、意外と将来効いてきますからね。それなら大丈夫だ。自分で体験したことはありありと描ける。写真資料だけじゃダメなんだよね。

いづみ : そうですよね。ぼくもできるだけ自分で出向いて自分の目で確かめることを大事にしてます。

松本 : それはいいね。私も、好奇心いっぱい、いろんなことをしましたよ。子どものころは海に潜って貨物船のハラくぐりをやったり、お墓で駆け回って納骨堂で骨を見せてもらったり。住職もできた人で「子孫が元気なんだから先祖も気を悪くせんだろう」と大目に見てもらって。

いづみ : ひえー。

松本 : アフリカでライオンと決闘しようとしたり、アマゾンの奥地でワニをとっ捕まえて食べたりね。いろんなことをしました。

いづみ : とてもそこまではー。

松本 : いまやったら捕まっちゃうからね(笑)。


すがこちゃん人は人、われはわれなり、されど…

松本 : 大泉が好きなのは、東京23区内なのに野山を駆け回ったころの記憶に近い土地だからなんだよね。自然の空気がいまも残ってる。松本零士先生xいづみかつき先生

いづみ : ぼくも大泉にいると落ち着きます。

松本 : でしょう。さすがに私が越してきた50年前とは変わったけれど、土地の持つ空気は変わっていないんです。新目白通り、昔は十三軒通りって言ったけど、ここから谷原のあたりまではまだ砂利道でね。東京オリンピックのときにようやく舗装されて。当時はまだたんぼ道ばかりで、免許とったばかり、車で走ってはよく脱輪してね(笑)。

いづみ : そうなんですか!?

松本零士先生xいづみかつき先生松本 : そう。よく車があぜ道にはまってましたよ。そういえば、赤塚(不二夫)氏が車を買えるようになって乗ってきたことがあったなぁ。大泉まで。ベンツのオープンカーで。それで家の下に来て大声で「おーい松本ぉ!お前もこれを買え−!」ってね。それで箱根までみんなで行って、オレにも運転させろーってやって、また赤塚氏に交代したらスピード違反で捕まっちゃったりしてね。

いづみ : うわー災難! でも、みなさんとても交流があったんですね。

松本 : ちばちゃんなんかも富士見台からマラソンでうちまで来たりね。

いづみ : すごい!

松本 : 昔はね、そうやって同業者ともよく遊んだし、ここらへんはアニメーターも多いし、声優さんなんかともね。いまはあんまり集まったりしないんでしょ?松本零士先生xいづみかつき先生

いづみ : ええ、そうですね。

松本 : もったいないねぇ。手塚さんから夜中に「映写機が壊れて編集ができない!」ってSOSがあって、自前の映写機を自転車に積んで助けに行ったり、さらに石ノ森氏を加えて3人で自称日本3大アニメマニアと言ってたら警察に同時に踏み込まれたりね。金とって他の人に見せてると思ったらしくて…結局刑事も「研究用ならいいや。がんばってくれよぉ!」って手を振って帰って行ったけど…捕まってもないのに「自称日本3大アニメマニア芋づる事件」とか言って自慢してね(笑)。だけど、3人とも夢を果たしたんだよ。それは切磋琢磨があったからだろうね。

いづみかつき先生いづみ : おんなじ世代で近くに同業というか…こころざしを同じくする人がいるのは、心強いというか、励みになりますよね。

松本 : われわれのころはみんな寄ってたかってね。もうゴチャゴチャでね。闇鍋とかしたりね。

いづみ : えーっ!

松本 : それで夢を語るんだよね。熱い夢を。オレは何をしたいんだ!と。編集者が連れてきた漫画家を目指す女性たちも一緒にね。

松本零士先生

いづみ : いいですねー。

松本:まぁその熱い語り合いの中で、女性の作家…そのころはタマゴだったけど、だんだんその気になってきたんでしょうね。ポツッ、ポツッと姿を現してきてね。当時は男が少女マンガを描いていたんだけど、ふと気づくとオレたちは彼女たちに追い出されていくわけ。大変な悲劇だよね(笑)。

いづみ : うわー!きびしい!

松本零士先生xいづみかつき先生松本 : でもね、漫画家っていうのは、自由だけれど絶対的な孤独ですよ。だからこそ、「人は人、われはわれなり、されど仲良く」といってね。作品は誰がどんなの描いてようが気にしない。自分の作品にも何を言われても気にしない。でも、仲良くやりましょう。そういうことだよね。

——近いうちに大泉で練馬漫画家懇親会でもしますか。

いづみ : したいですねー。お誘いしてもいいですか?

松本 : 若い世代との交流は最近あまりないから面白いかもしれないね。

いづみ : その節は、ぜひよろしくお願いします!

松本零士先生xいづみかつき先生