大賑わいさせたい!/地域

商店街の時代が来てると思います。

 

たしかにニュースではシャッター商店街のことが話題になり、東京都内でも厳しい環境におかれている商店街は少なくありません。どうしても便利なスーパーやショッピングセンターに行ってしまう。若い世代があとを継がず高齢化しているケースも多い。何かやろうにも予算もアイディアもない…。

 

実際、「経済」の側面から考えると、たしかに不利かもしれません。けれど、商店街の機能って、お買い物だけじゃない。カートに商品乗せて、レジ行ってチン!だけではない、いまの世の中にこそ必要な機能を持っていたことに、ハタと気づいたのです。それはこんなこと。

 

その1。コミュニケーション機能。

 

ある仕事で、こういうエピソードを聞きました。初めての子を産んだ若いママの話。ご主人は多忙で毎晩遅く帰宅し、出かけるのも早い。近所に知り合いもいない。ひとり孤独で育児ノイローゼになりかけた彼女は、日々の買いものへスーパーではなくあえて個人商店に行くことで耐えていたそうです。『この大根いくら?』という、ちょっとした会話をすることで…。

 

いまやケータイもメールもツイッターにフェイスブックなんて言うのもある。コミュニケーションのチャンスには事欠かないはずなんだけど、この若いママの話はリアルです。よくわかる。テクノロジーは補完にはなるけれど、やっぱり生身のコミュニケーションには勝てないのでしょう。五感の欲求かもしれません。無反省に核家族化や過度のプライバシー信奉を進めた社会にも問題はあるのですが、放っておけません。

 

その2。家と社会のあいだの「半社会」。

 

コミュニケーションと言えば、若者の能力低下が問題になっているという話はよく聞きますが、某大手商社では、新入社員はまずは寮に入ることを絶対条件にしたそうです。社会人になる前に「家族や友だち以外の人々」とも接する能力(!)を育てるために。えっ、それほどなの?って、ちょっとビックリしました。

 

自分の記憶をたぐると、商店街の中に住んでいたという地理的要因もありますが、親と学校の先生以外の「知り合いのヒト」がまわりにたくさんいました。小学生くらいになると外で遊ぶのがアタリマエだった時代。笑顔で声をかけてくれたりもする。なんか悪いことやらかすと、お店のオッチャンとかに怒られたりもする。ときどき理不尽な人や、こわい上級生もいたりして、なんとかやりすごす方法を考える。そういうことで家や学校以外でも「世間」を感じ、練習していたんでしょう。商店街は子供にとっての「半社会」でした。

 

それが今や、(過剰の場合も多い)保護装置としての家や学校から、ほぼストレートで社会に放り出される。いい人ばかりだったらいいけど、利害だとか悪意だとか無関心だとか不寛容とか、そんな現実にもいきなり晒される。耐性なんてないのに。そりゃニートにも引きこもりにもなるというもの。気の毒ですよ。

 

その3。街にとっての「縁側」。

 

そう。商店街って、なんだか縁側に似ています。フラッと寄って、買いものついでに一言二言(場合によってはそれ以上!)会話を交わして、帰って行く。モノだけでなくコミュニケーションも売っているという意味では上記の1や2とも重なるのですが、こういうシーンって最近なかなか見かけません。回覧板を届けに来ながら、ついつい世間話に花が咲く…。典型的な縁側の光景。とってもスローな感じ。とっとと精算を済ませる!という目的のあるスーパーのレジで長々世間話されたら、後ろに並んでいる人は黙っちゃいないでしょうが(笑)。

 

縁側というのは不思議な場所です。半分家の中のようであり、半分外のようであり。そこにいると、気軽に声をかけたり、かけられたりする。「袖すり合うも他生の縁」というような、“何かの縁”をつなぎとめておく場所。

 

で、そんな縁側と言えばお年寄りの特等席ですが、縁側が減っている(というか東京ではほとんど見かけない)昨今、みなさん家の中に引っ込みがちなようです。私は、縁側としての商店街が復権すれば、お年寄りが元気になる。そう思っています。だって人間って関係性の生き物だから。核家族化が進んでお年寄りだけの世帯も増えた今こそ、“ゆるく”世代間交流できる街の機能が必要だと思うのです。

 

「かわいいお洋服ねぇ」「きのうママに買ってもらったの!」

 

「傘を振り回しちゃあぶねぇよ」「出たっ!ガミガミじじい!」

 

…例えが昭和でスミマセン(苦笑)。けど、結局、そんな些細なやりとりが、気持ちを、脳を、活性化させるんだと思うのですよ。生活にハリが出るんだと。自分に子供がいなかったり、孫が近くに住んでいなくても、よく見かける子となんでもない会話を交わすことで縁ができる。縁ができれば気にもなるし、気持ちも動く。いつも元気な子が少し沈んだ顔していると「どうしたの?」となったり。長生きにいちばん効く薬です。もちろん、子供たちにとっても、肉親以外と交流を持つのはいい経験になるはずです。

 

私が住んでいる地域も、お年寄りのひとり暮らし世帯が多いらしいのですが、積極的に出ていく負担も少なく、人と関われる地元の商店街ってのは、きっといい縁側なんだと思います。誰でもフラリと立ち寄れて、好きなときにおいとまできる。そんな“縁側”的な機能は、スーパーには求めにくい。

 

その4。街の防犯機能。

 

商店街では、いつもの買いもので「顔見知り」になるもの。ヨソモノは目につきやすかったりします。そうでなくても、お店があって人の目があることで、犯罪の抑止力にもなっている。あれ?ここらへんじゃあまり見ない顔だな…とか。なんか様子がおかしいぞ?とか。子供に悪さしようにも手を出しにくかったり。

 

サラリーマンを辞めてから気づいたことなのですが、いい年の男が平日の昼間の住宅街には本当にいない。というか、移動している以外の人ってあまり見かけません。

 

近ごろ「防犯の家」という名前だったか、子供が外で危ない目に会いそうになったら駆け込んでいいよ、という看板を掲げた家をときどき見かけます。けれど一般の住宅には実際問題駆け込みにくくないですか? インターホン押して「開けてください!怖い人が!」って用件を告げている余裕があるのでしょうか? ちょっと疑問に思います。その点、お店なら、駆け込みやすい。商店街と学校の連携とかも、もっと取れるといいと思います。

 


 

ここまで、商店会と商店街を併せて使ってきましたが、商店が「会する」のと「街」とでは、やはり、ちょっと意味合いが違うのです。私は、街が復活してほしい。個人商店も子供がサラリーマンになって家を継がないケースが多いようですが、もう誰もがサラリーマンを目指す時代じゃないような気がするのです。その話はまたどこかで書くかもしれませんけれど。

 

いずれにせよ、商店街はピンチです。けれどピンチはチャンスでもあります。ネットワーク技術の進化などの後押しもあり、話題を集めているケースもときどき見かけられるようになってきました。すばらしい。あとは行政がもっと積極的に関与してくれるとかが必要だと思いますが、なにより重要なのは個々のお店が諦めないこと。地元商店会を取材してみて、「おっ、ここのお店は、こんなところがイイじゃないか!」という発見も多々ありました。意外と自分の魅力には気づかないものです。

 

商店街を、ぜひ、復活させたい。そんな「気持ち」を持った人たちと、ぜひごいっしょしたいと思います。

 

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